原孝洲について|雛人形の人形師 原 孝洲

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気品と愛らしさにあふれた人形づくりを追求する。

想いは世代を越えて受け継がれていく 初代 原米洲の足跡

原米洲の膝の上で、生後3カ月の原裕子。お食い始めの当日、先代の仕事場にて。

原米洲の膝の上で、生後3カ月の原裕子。お食い始めの当日、先代の仕事場にて。

父・原米洲と4歳ごろの原孝洲。東京・浅草橋の自宅前にて。

父・原米洲と4歳ごろの原孝洲。
東京・浅草橋の自宅前にて。

1934年(昭和9年)今上天皇陛下の初節句に「太子と士農工商」の『太子の像』を献上。

1966年(昭和41年)文部省(現・文部科学省)より無形文化財に指定。黄綬褒章を授与。

1973年(昭和48年)パリ・ニースにおける日本の伝統美術工芸展に出品。パリの人類学博物館に作品が永久展示される。

1974年(昭和49年)皇室、東宮御所に御所人形を各1点を献上。

1985年(昭和56年)スウェーデン極東美術館に作品が展示される。

1989年(平成元年)没(享年96歳)

◎東京国立博物館に、技法、および原米洲の作品が永久保存されている。

一体一体、親の想いを筆先に込めて描いています。

幼少の頃から、父である先代・原米洲の人形づくりに向かう真摯な姿を目にしてきました。この伝統技術を絶やすわけにはいかないと決心をしたのは、18歳のときです。以来、人形師として修行を重ね、二世を襲名いたしました。
先代の無形文化財に指定された「胡粉仕上げ」の技術継承もさることながら、女流人形作家ならではの作風にもこだわっております。
やわらかい雰囲気を表現した胴体の形。華やぐような明るい配色の衣装。先代の生み出した仏像の表情に通じる赤ちゃんの清らかな気品あるお顔に、愛らしさを融合させた丸いお顔。何十本もの線がつくり出す「笹目技法」のやさしいまなざし。これらは、研鑽を積まなければ創作することはできません。お子さまの誕生を寿ぎ、すこやかな成長を願う親御さまの想いを、確かな技術で一体一体、筆先に込めておつくりしています。

原 孝洲

先代が培ってきた人形づくりへの想いと伝統技術を受け継ぐ、二世・原孝洲と三世・原裕子。 先代が培ってきた人形づくりへの想いと伝統技術を受け継ぐ、二世・原孝洲と三世・原裕子。

お節句という日本の素晴らしい伝統行事を、ご家族の皆さまで末永くお祝いしていただくために、人形創作を通じて娘の三世・原裕子とともにお手伝いしていきたいと思っております。

原 孝洲

原 孝洲(はら・こうしゅう) 東京都台東区生まれ。父であり、師である原米洲のもとで修行を積み、無形文化財に指定された奥義「「胡粉仕上げ」の技法を習得。1986年、二世を襲名。1991年、桐彩会人形展への「薫風」出展を皮切りに、さまざまな創作人形の制作にも精力的に取りくむ。1998年に雅号を「孝洲」に改める。

原 裕子

やさしい空気が漂う人形づくりをめざしています。

時代が移り変わっても、お子さまの幸せを願う親御さまの想いは不変です。その想いが、人形づくりをするうえで私の拠りどころになっています。
“我が子を想う親の愛情を、お人形に重ね合わせて創作する”という、先代・米洲から孝洲へと受け継がれてきたこの教えを、三世を継承した人形作家として、ひとりの子を持つ母親として、大切にしていきたいと思います。
また、新たに取り組んでいる作風は、現代の住空間にもさりげなく馴染む人形づくりです。単にコンパクトなサイズにするだけでなく、時代に合った愛らしい表情のお顔や、ぬくもりのある色合わせの衣装、そして、洋風のインテリアに調和するしつらえなど、飾ったお部屋にやさしい空気がふんわり漂うような人形づくりをめざしたいと考えています。
美しいものは、人のこころを喜びで満たします。お節句のお祝いが喜びにあふれた思い出にしていただけることを願いながら、これからも人形創作に励んでまいります。

原 裕子

原 裕子(はら・ひろこ) 東京都台東区生まれ。3人兄姉の末っ子。筑波大学付属高校卒業、女子美術大学卒業。その後、イギリスへ1年間美術留学し、帰国後、母である原孝洲のもとで人形作家としての道を歩む。2002年結婚、2008年長女出産。現在、新たな感性をいかした人形作家として数多くの作品を手がける。

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